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東京高等裁判所 昭和30年(ネ)2385号 判決

控訴人 菅井吉蔵

被控訴人 金井定七

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文と同趣旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

被控訴人が請求の原因として述べたところは次の通りである。

「被控訴人は控訴人に対し昭和七年一一月一三日千葉県香取郡山田町(旧八都村)仁良字一本松八六六番地の宅地五〇七坪及び同所九一三番地の宅地四五坪を、賃料一ケ年玄米三俵二斗(但し合格米のこと)、支払期日毎年一二月二〇日、賃貸期間五ケ年の約で建物所有の目的を以て賃貸したところ、その後控訴人の申出によつて賃貸期間を昭和一五年一二月二〇日までと変更し、更に昭和二〇年一二月二〇日まで延期したが、控訴人は期日までには異議なく家屋を取払い右土地を返還する旨約した。ところが控訴人は期間経過後も右土地の返還をせず引続き右土地を使用し、しかも昭和二二年度分以降の賃料の支払をしないので、被控訴人は引続き賃貸借を継続したものとして、昭和二八年一一月九日(日附を昭和二七年一一月九日としたがこれは誤記である)発、翌一〇日控訴人到達の書面を以て控訴人に対し、昭和二二年度分から昭和二七年度分に至るまでの延滞賃料を、右書面到達の日から一四日内に支払うべく、若しその支払をしないときは賃貸借契約を解除する旨の催告並に条件附契約解除の意思表示をしたが、控訴人は右期間内にその支払をしないので本件土地の賃貸借契約は昭和二八年一一月二四日の経過と共に解除となつた。そして控訴人は右土地のうち、宅地五〇七坪の地上に家屋番号仁良七一番、木造草葺平家建住家一棟建坪四三坪、附属建物、木造瓦葺平家建浴場一棟建坪一坪五合の家屋を所有しているので、ここに前記土地賃貸借契約の終了を原因として、右家屋の収去とその敷地五〇七坪の明渡及び他の賃貸宅地四五坪の明渡を求める」。

控訴人は事実上の答弁として次の通り述べた。

「被控訴人主張事実のうち、控訴人が昭和二二年度分以降の賃料の支払をせず、ために本件賃貸借契約が解除となつたとの点はこれを争うが、その余の事実は全部これを認める。

しかし被控訴人の本件契約解除の意思表示は次の理由によりその効力を生じないものである。

(一)、被控訴人はその昭和二八年一一月一〇日控訴人到達の書面による本件賃料の催告に対し、控訴人が応じなかつたことを理由として本件賃貸借契約は解除せられたものと主張する。しかし契約解除の前提たる催告は適確なることを要し、少くとも控訴人が催告に従い債務を履行し得るものなることが必要である。然るに被控訴人の控訴人に対する催告(甲第四号証)には「合格米三俵二斗を公定価格に換算して」支払うことが要求せられているが、その公定価格が政府買入の公定価格か、政府販売の公定価格か、また或いは耕作地の賃料米の公定価格なのかを明かにしていないのであり、そのいずれに従うべきか不明確なのであるから、契約解除の前提たる催告としては不適法なものである。従つてこの催告に応じないからといつて契約解除の効力が生ずるわけはない。

(二)、控訴人と被控訴人との本件賃貸借の地代については地代家賃統制令(昭和二一年九月二八日勅令第四四三号)の適用があるものであるが、被控訴人主張の本件地代は同令第四条による停止統制額でもなく、同令第六条の認可統制額でもない。換言すれば被控訴人は本件地代につき地方長官の認可を受くべきにこれを受けないから地代はまだ定まらないものである。よつて本件土地の地代は不明であるから被控訴人はこれを明確にして支払を要求すべきものである。右勅令施行後は地代不明のため、控訴人は昭和二八年八月二七日金一、八五〇円を、被控訴人から甲第四号証の催告を受ける前に、昭和二二年度分より昭和二七年度分まで六年分の地代として現実に被控訴人に提供したが受取らないので供託し、また昭和三〇年九月二一日金一、四〇〇円を昭和二八年度、昭和二九年度分地代として前同様の理由で供託し、なお不足なりと信じ同年一一月二五日金四七、八四九円を同様の理由で供託した。これかかつて被控訴人が本件地代を明確にしないためである。従つて控訴人が被控訴人からの地代催告に応じないからといつて履行遅滞の責はない。

(三)、仮に以上の抗弁が理由がないにしても、左の理由によつて被控訴人の本件解除の前提たる催告は無効である。

即ち控訴人は従前から被控訴人所有の山田町大字仁良字宮下九一七番田二七歩(現況畑)外六筆の畑または田(現況畑)合計一反六畝二〇歩を賃借していたが、昭和七年中になつて被控訴人からその返還を求められ、その返還に代えて、控訴人が訴外菅井安五郎より賃借していた同町大字新里字仁良前二、〇四七番地の六畑一反七畝歩を被控訴人に転貸した。そして右各貸地の賃料はこれを同額として相殺することとしていたが、その後昭和一一年中になつて控訴人は被控訴人よりの右七筆の賃借地を被控訴人に返還したが、被控訴人は控訴人に右転借地を返還しなかつたので、その転借料を一ケ年玄米一俵と定め、本件宅地の地代玄米三俵二斗より右転借料の一俵を差引き二俵二斗だけ控訴人から被控訴人に支払うこととなり、爾後その通り実行して来たものである。そしてこのことは右転貸地が農地解放により被控訴人の所有地(昭和二五年七月六日登記)となるまで続いていたもので、控訴人はそれまで菅井安五郎に年六斗の賃借料を右転貸地について支払つて来たものである。

然るに被控訴人は控訴人に対する本件賃料の請求につき、これら賃料の変更の事実を無視して、依然賃貸借証書の書面通り玄米三俵二斗の請求をし、若し期限内に支払わないときは賃貸借を解除する旨通告して来たものであるが、右催告の失当であることは右の事実によつても明かである。

(四)、仮に以上の抗弁がすべて理由がないとしても、被控訴人の本件賃貸借の解除は権利の濫用であるからその効力を生じない。その理由は、

(イ)、控訴人には本件賃貸借の正当な地代支払の意思は十分あるのである。

被控訴人は地代統制に関する勅令(昭和一四年一〇月九日勅令第七〇四号第一次地代家賃統制令、昭和一五年一〇月一九日勅令第六七八号第二次地代家賃統制令)が出た後も控訴人に対し本件地代を玄米で納付するよう要求するので、控訴人は昭和二〇年度までは玄米で納付したが、敗戦後農家に対する米の供出要請が益々強化せられたので、被控訴人の要望たる玄米による地代の支払が不可能となり、金銭による地代は被控訴人がこれを受領しないため昭和二一年度分からの地代の支払ができなかつたものであつて、乙第一号証の如く昭和二七年一月二七日(旧暦昭和二七年正月元旦)に控訴人長男菅井英雄が地代を持参したところ、昭和二一年度分だけ受領しその他は受領せず、引続き昭和二二年度分より昭和二七年度までの地代を納付すべく被控訴人を訪問したが受取つて貰えないため、町役場の関係者に尋ねたところ、昭和二一年度より昭和二五年度までは一石七五円の割、昭和二六年度より以降はその七倍(五二五円)の割で納付すればよいとのことなりし故、乙第二号証の如く昭和二二年度より同二七年度までの地代合計一、八五〇円を、被控訴人より本件催告(甲第四号証)を受けるより前の昭和二八年八月二七日に供託したものである。そして以後調査の結果山田町役場の算出する統制地代を供託(乙第五号証)したのであつて、これを要するに控訴人には本件地代納付の意思も能力も十分にあるものである。

(ロ)、本件賃借地上には控訴人が祖先より承継した住宅があり、家族も居住して農業に従事するものであるから、甲第二、第三号証の延期証記載のように期限満了と同時に住宅を取毀して賃借地を被控訴人に明渡す意思でかような書面に捺印したものでなく、被控訴人の強要により捺印したものである。勿論借地法第一一条の保護は控訴人にもあるものと思う。

(ハ)、被控訴人は肩書地に住宅を有し、居住地方としては相当以上の田畑の所有者である。本件土地を取上ぐべき何等の必要もないものであり、控訴人に法外な値段で売付ける目的で本件明渡訴訟を提起しているのである。この意思は本件記録中の佐原簡易裁判所の調停調書によつても明白であるし、また被控訴人はその実子との間に数回訴訟をしているし、現在も森林を伐採したとかの件で親子間で訴訟中で、被控訴人が訴訟狂であることは居住地方公知の事実であり、年中訴訟をしなければ気持が悪いとは本人自身の公言するところである。

(ニ)、控訴人が被控訴人より本件土地の賃貸借を解除されるときは、その地上建物を取ほぐし相当離れた自己の所有地上にこれを運搬建築することが必要であるが、そのためには最低に見積つても百万円以上の費用を要し、到底控訴人の負担に堪えるところではない。ために控訴人は自然住家を失い、一家路頭に迷うに至ることは必定であるに対し、被控訴人が控訴人から本件土地の明渡を受けても、これを畑地として自ら耕作するか、同じ目的の下に賃貸するか、または暴利をむさぼつて他人に讓渡するか、いずれにしても被控訴人の利己的野心を満足せしめる以外の何物でもない。彼此比較するときは、このまま控訴人に使用させる方が社会経済的に見ても得策であるし、従来の経緯からしてもこれが世間の信義にも合致すること疑いがない。

以上の理由により被控訴人の本件賃貸借の解除は明かに権利の濫用であつて許されないものであり、その効力を生ずるに由がないものである。

従つて被控訴人主張の契約解除によつて本件土地の賃貸借が終了したことを前提とする被控訴人の本訴請求は失当であつて、控訴人の応じることのできないところである」。

被控訴人は控訴人の右主張に対し次の通り述べた 。

「(一)、農村においては建物所有を目的とする土地の賃貸借においても、その賃料額は玄米の量を以てこれを定め、その代金額に換算した金銭を以てその支払をすることもできるとするのが旧来の慣習であつて、本件賃貸借の賃料もこれに従い一ケ年玄米三俵二斗(合格米)と定められたものであり、食糧管理法の施行せられた後は、被控訴人は右の代価たる生産者売渡価格を以て換算した金額を年々控訴人から受取つて来たものである。そして右代価は、農地調整法及び同法施行令により農地の小作料たる玄米等の換算額が特別に定められた後も、宅地の地代たる性質、農村における慣行等から見て右小作料の換算価格によるべきではなく、生産者売渡価格によるのを相当とするのであり、現に本件賃貸借の昭和二一年度の賃料は控訴人も同年度産米の生産者売渡価格により換算した金額にほぼ相当する金六三〇円を被控訴人に支払つているのである(乙第一号証)。そして昭和二一年産の玄米の生産者売渡価格は一俵(四斗入、六〇キロ)二〇五円であつたから、昭和二一年九月二八日勅令第四四三号地代家賃統制令第四条による本件地代の停止統制額は玄米三俵二斗を右価格で換算した金七一七円五〇銭であつて何等不明確なものではない。しかも農村において米の生産者売渡価格がいくらであるかは、各年渡において何人も知つていることであるから、控訴人もこれを知らなかつた筈はないのであり、被控訴人が本件地代の催告において合格米三俵二斗を公定価格に換算しての支払を求めたとしても、控訴人にはそれがどれだけの金額の支払を求めるものであるかは直ちに判明する筈であるから、右催告には何等の不明確さもないのであつて、右催告に応じなかつた控訴人は本件地代の不払について遅滞の責を免れることはできないものである。

(二)、控訴人は昭和二八年八月二七日本件賃貸借の昭和二二年度分より昭和二七年度分までの賃料として金一、八五〇円を供託したと主張するが、その供託者名義は菅井英雄となつており、控訴人の名を以て供託したものではないから弁済の効果は発生しない。

仮にそうでないとしても、右金額は前記被控訴人主張の本件賃料の停止統制額には遥かに及ばないものであつて、これを以て本件賃料支払の債務を履行したということはできない。

控訴人は右賃料の供託を不足なりと信ずればこそ、その後度々供託しているものであつて、これこそ右不履行を如実に物語るものである。

(三)、控訴人は本件地代も農地の賃料即ち小作料の換算価格を以て支払うべく主張し、被控訴人はこれを拒絶していたものであつて、控訴人に債務不履行の責のあることは明かである。

なお控訴人は本件土地の近傍に畑一町六反六畝六歩を所有し、容易に本件地上の建物を移転できるのに被控訴人の本件土地明渡の請求に応じないものである。

従つて本件土地賃貸借契約は昭和二八年一一月二四日の経過を以て有効に解除せられたものであることは明かであつて、控訴人の主張は違法且不当であるから本件控訴は棄却さるべきが当然である」。

証拠として被控訴代理人は甲第一ないし第九号証を提出し、当審における被控訴本人の第一、二回供述を援用し、乙号各証の成立を認め、同第一ないし第六号証を利益に援用すると述べ、控訴代理人は乙第一ないし第六号証、第七号証の一ないし七、第八号証を提出し、当審証人菅井英雄の証言及び控訴本人の当審供述を援用し、甲号各証は全部成立を認めると述べた。

理由

控訴人が被控訴人から被控訴人主張の宅地をその主張の日以降その主張の約旨で賃借し、その後控訴人の申出によつて右賃貸借の期間が昭和二〇年一二月二〇日まで延期せられたことは当事者間に争いのないところであつて、右土地の賃貸借は建物の所有を目的とするものであるから昭和一六年三月一〇日以降は借地法の適用があり、その賃貸借の期間は右当事者間の約定にかかわりなく、賃貸借契約の日である昭和七年一一月一三日から二〇年間であり、その満了後は更にこれが更新せられているものと認むべきである。

ところで被控訴人は、右賃貸借は賃借人である控訴人が昭和二二年度分から昭和二七年度分までの賃料を支払わなかつたため、被控訴人より控訴人に対する昭和二八年一一月一〇日控訴人到達の書面による催告並に條件附契約解除の意思表示により解除せられた旨主張し、右書面が控訴人に到達した事実は控訴人の争わないところである。

そこで果して本件賃貸借契約が被控訴人の右契約解除の意思表示により解除せられたものであるか否かについて検討しよう。

まず成立に争いのない甲第一、第四、第九号証、乙第一、二号証、第四ないし第六号証、第七号証の一ないし七、第八号証に当審証人菅井英雄の証言、控訴本人の当審供述(一部)及び被控訴本人の当審第一、二回供述の一部に本件口頭弁論の全趣旨を総合すれば、本件土地の賃料は一ケ年玄米三俵二斗(但し合格米のこと)なる定めであつたこと前記の通りであるが、控訴人は本件土地とはまた別に被控訴人から被控訴人所有の山田町大字仁良字宮下九一七番田二七歩外六筆の農地合計約一反六畝二〇歩を賃借しており、昭和七、八年頃被控訴人から右農地の返還を求められた結果、その返還に代えて、控訴人が訴外菅井安五郎より賃借していた同町大字新里字仁良前二、〇四七番の六畑一反七畝歩を被控訴人に転貸するに至つたこと、そして右各相互に貸している農地の賃料はこれを同額として相殺することとしていたが、その後昭和一一年頃になつて控訴人は被控訴人からの右七筆の賃借農地を被控訴人に返還したが、被控訴人は控訴人に右転借農地を返還しなかつたので、その転借料を一ケ年玄米一俵と見て、本件宅地の地代玄米三俵二斗より右転借料の一俵を差引いて二俵二斗だけ控訴人から被控訴人に支払うこととなり、爾後昭和二〇年度分に至るまでこれを実行し、玄米でその支払を続けて来たこと、ところが昭和二一年になつて地代家賃統制令によつて玄米による地代の支払が禁止せられたので、控訴人は本件地代を金銭で支払わんとして何度かその長男菅井英雄を被控訴人方にやつたが、被控訴人は物納でなければ受取れぬとのことで、結局昭和二一年度以降はその支払ができないまま経過したが、昭和二七年一月二七日になつて右控訴人の長男英雄が昭和二一年度分の本件賃料として金六三〇円を被控訴人方に持参したところ、同年度分だけでは被控訴人もこれを金納で右金額を受領したこと、控訴人が右昭和二一年度分賃料を右のように六三〇円と計算したのは、前記のように本件宅地の賃料は当時においては被控訴人に対する転貸地の賃料を差引いて玄米二俵半の定めであつたのを三俵と誤算し、昭和二六年度の農地貸借の小作米の換算額が一俵につき二一〇円であつたから(昭和二一年度の換算額によらず)支払当時の昭和二六年度の右換算額によつてこれを計算したものであるが、その後控訴人は町役場等で聞いてその計算の誤りに気がついたものか、昭和二二年度分から昭和二五年度分までは一俵三〇円、昭和二六、二七年度分は一俵二一〇円(いずれも小作米の換算額)でこれを計算し、昭和二二年度分から昭和二七年度分まで一ケ年三俵半として合計金一、八五〇円を前同様長男英雄をして被控訴人に提供せしめたが、被控訴人においてその受領を拒絶したので、被控訴人より本件催告並に條件附契約解除の意思表示のある以前である昭和二八年八月二七日右金額を長男英雄名義を以て供託したこと、その後控訴人は同年一一月一〇日被控訴人から前記のような昭和二二年度から昭和二七年度に至る本件賃料玄米三俵半を公定価格に換算して支払えとの催告を受け、その不払を条件とする契約解除の意思表示まで受けて、遂には本訴の提起とまでなつたのであるが、右催告にかかわる賃料の支払については、前記金員の供託を以て足ると考えたものか、本件原判決による敗訴の言渡を受けるまでは何等の反応をも示さず、その後控訴代理人に事件を依頼するに及んで、昭和三〇年九月二一日には昭和二八、二九年度二ケ年分として一、四〇〇円を、昭和三〇年一一月一五日には昭和二二年度分より昭和三〇年度分に至る不足分として四七、八四九円(右不足分は乙第六号証の山田町長の統制地代の算定証明額によつたものと思われる)を、いずれも控訴代理人を代理人として供託している事実を認めることができ、控訴本人及び被控訴本人(第一、二回)の各供述中には右認定に反する部分があるが、控訴本人のは何等かの誤解と考えられ、また被控訴本人のものは本件全資料からみてこれを信用できないところであり、他に右認定を左右すべき証拠はない。

そこで右事実関係の上に立つて本件賃貸借契約が有効に解除せられたか否かを判断する訳であるが、まず本件賃貸借の昭和二一年度分以降の賃料がいくらであるかについて考えてみよう。本件地代の額が一ケ年玄米三俵半(または二俵半)の定めであることは前記の通りであつて、右地代の額は右の額で停止せられて来たものであること昭和一五年一〇月一九日勅令第六七八号地代家賃統制令の規定によつて明かである。そして右地代額は終戦後昭和二一年九月二八日勅令第四四三号地代家賃統制令によつて更に統制を受けることとなつたのであり、同令第四条第一項の規定によつて、昭和二一年九月三〇日(指定期日)に従前の統制令による地代のあつた借地として本件土地については、前記の額がその停止統制額とせられたものである。ところで右昭和二一年の統制令は更にその第一三條で地代として金銭以外のものを受領する契約をし、または受領することはできない旨を定めている。そこで本件の地代は前記のように玄米の額で定められているので新統制令下におけるので地代額を如何に定むべきかについては相当の問題がある。まず金銭以外のものでの契約を許さない新統制令の下では玄米による納付を定めた本件契約は無効であり、従つて指定期日において地代額の定めがないものとして都道府県知事の認可を受けてその額(認可統制額)を定むべきものとすること、これが一つの考え方であろう。これは控訴人の主張するところであり、また新統制令第二六條も指定期日に地代として金銭以外のものを受領する契約のあるものは、停止統制額がないものとみなす旨を定めているのである。しかし本件にあつては地代が玄米で定めてあつても、これは必ずしも玄米でなければ地代を納め得ないものではなく、その代価による支払も許される趣旨のものであること被控訴人の主張するところであつて、右被控訴人の主張事実は右に採用した各証拠と本件口頭弁論の全趣旨とによつてこれを認めるに足るのであるから、本件地代は一応玄米の額を以てこれを定めてはあるが、それに相当する代金額での金納を許す趣旨のものとして、右第二六条は適用がなく、指定期日における玄米の価格を基準として、地代の停止統制額が定まつたものと認めるのが相当であろう。(地代を玄米の額で定め、現物またはこれに相当する代金額での納付を許す契約にあつては、その代金額は米価の変動により年々変動するを免れないのであるが、国民生活の安定を図ることを目的とし、インフレ防止等のため地代額を一定の限度で停止し、その増減を地方長官の認可等にかからしめてその額を統制せんとする地代家賃統制令の下にあつては、右のような契約によつて地代の額が米価の変動に従い年々変動することは許すことのできないことであるから、本件地代も一応指定期日における米価を基準として、その停止統制額が定められ、爾後の変動は地方長官の認可、物価庁長官または建設大臣の修正等に委ねられたものと認めるのが相当である)。そして次に問題となるのは指定期日における米価を基準とするといつても、如何なる米価を基準とすべきかということである。本件賃貸借契約の締結当時においては、玄米の代価といえば容易にその金額の算定ができたことであるが、右指定期日の頃には米穀生産者よりの政府買入価格の外、消費者への政府の配給価格、農地の小作米の換算額まであつて、そのいずれによるべきか、また問題とならざるを得ないわけである。しかし本件地代が宅地の地代であり、元来の換算額は農村における玄米の売買価格によつて定められるべきことから考え、本件地代の基準とすべき米価は、小作人の保護、政府の予算的操作、社会政策的考慮その他特殊の事情から定められた、小作米の換算額や消費者への配給価格等によるべきではなく、米穀生産者よりの政府買入価格によるのが相当である。

そこで本件地代は昭和二一年九月三〇日の指定期日における合格玄米二俵半(この二俵半は後に認定する被控訴人が控訴人から転借していた農地が農地解放によつて被控訴人の所有となつた日以後は、その転借料一俵を差引く必要がなくなり、当然に三俵半に復活するものと考うべきである)の政府買入価格を停止統制額とせられたものと解すべきであるが、右指定期日当時における玄米の政府買入価格は千葉県産米において、一俵六〇キログラムにつき一等一二〇円四八銭、二等一二〇円二三銭、三等一一九円九八銭、等外一一九円七三銭なること昭和二一年三月三日附農林省告示第四二号によつて明かである。(被控訴人は右指定期日における玄米の政府買入価格を昭和二一年度産米についての買入価格を基準として主張するが、右昭和二一年度産米の政府買入価格は昭和二一年一一月一日附物価庁、農林省告示第一号によつて定められたものであつて、右指定期日たる同年九月三〇日当時にはまだ定められていなかつたものであるから、右基準によることはできない)。そして本件地代は合格玄米と定められているのであるから等外はこれを別とし、一等から三等までのうち中等の品質である二等米についての価格一俵一二〇円二三銭を基準とするのが相当であり、従つて二俵半では三〇〇円五八銭、三俵半では四二〇円八一銭となること算数上明かである。

ところで被控訴人が控訴人から転借していた前記農地一反七畝歩は昭和二三年三月二日政府によつて買収せられ、その同日附を以て被控訴人に売渡されたものであること成立に争いのない乙第八号証及び甲第九号証によつて明かである(尤も乙第八号証には右買収の日を昭和二三年七月二日と記載せられているが、これは同号証において売渡の日が同年三月二日とせられている点及び甲第九号証の記載に照し、七月二日は三月二日の誤記と認められる)。そこで本件宅地の昭和二一年度以降の賃料は昭和二二年度までは二俵半で一ケ年三〇〇円五八銭(従つて控訴人が昭和二一年度分として六三〇円を支払つているのは過払であり、また誤払である)、昭和二三年度は同年三月一日まで一ケ年二俵半で右割合、同年三月二日以降は一ケ年三俵半で年四二〇円八一銭の割合、従つてこれを計算すれば四〇〇円四八銭、昭和二四年度より昭和二七年度までは一ケ年三俵半で四二〇円八一銭となり、昭和二二年度より昭和二七年度まで六年間の合計は二、三八四円三〇銭となり、これが本件催告当時における本件宅地の賃料として控訴人が被控訴人に支払うべき金額である。(右金額は本件宅地の賃料として如何にも少額の感がないでもない。しかしこれは昭和二一年における指定期日の停止統制額のまま昭和二七年度までを計算した結果である。実際に世の中に行われている宅地の賃料は右指定期日の後何度か物価庁告示等で修正増額せられた額によつているので、本件宅地と同様な宅地の賃料も、右金額より遥かに高い金額が授受せられていることであろう。本件における乙第六号証の山田町長の証明はこの修正せられた率によつたものかとも考えられる。しかし統制地代額が物価庁告示等で修正増額せられたといつても、これはその最高額を右の増額せられた額まで上げ得るというに止まるのであつて、地代が当然に右の額まで増額せられるものではない。その増額のためには、予め明示または黙示の特約がない限り、なお借地法第一二條による賃料増額の意思表示または当事者の合意が必要なのであつて、これがない限りその賃料額は従前のまま据置かれたものと解するの外はないのである。本件においては被控訴人において右指定期日の後右のような賃料増額の意思表示をしたこと、または当事者間に増額の合意がせられたことについては被控訴人も何等主張せず、またこれを認むべき資料はないのであるから、前記のような停止統制額がそのまま据置かれたものと解するの外はない訳である。控訴人が昭和二一年度分賃料として任意六三〇円を提供し、被控訴人が異議なくこれを受領したこと前認定の通りであるが、右賃料額は前記の停止統制額に違反する過払であり、また誤払したものであること前記認定事実から見て明かであるから、これを以て当事者間に賃料増額の合意があつたものと認めることはできない)。

さてそこで本件契約解除の効力であるが、その解除の意思表示の前提となつた被控訴人の本件賃料の催告が適法なものといえるかどうかについて考えてみよう。被控訴人は本件昭和二二年度より昭和二七年度に至る地代として正確には右認定のような二、三八四円三〇銭となる金額の請求を、合格玄米三俵半を公定価格に換算して支払えとの表現の下に催告したものである。しかもそれは控訴人が一度はその換算年度を誤つて昭和二六年度の換算額(小作米のそれであるが)によつて昭和二一年度分として六三〇円を支払い、その後その誤りに気付いて昭和二二年度より昭和二七年度に至る六ケ年分として一、八五〇円を提供、供託した当時においてである。しかもなお右三俵半については前認定の期間内は二俵半しか請求できないことを看過してもいるのである。右催告にかかる期間内の正確な賃料額が前記の金額になることは、相当複雑な考察の上でなければ判明しないものであること前記の認定自体から明かなところであり、恐らくは被控訴人自身にも判然しなかつたことであろう。この事実は本件口頭弁論の全趣旨からみてこれを認めるに十分である。そうすれば前記の表現による催告によつて控訴人にその催告金額がいくらであるかを判断させることは如何にも無理な要求であると考えざるを得ないのであつて、右催告は不適法であり、控訴人が右催告に応じないからといつて履行遅滞の責を負うの要はないものと考えざるを得ない。

そうすれば被控訴人の右催告を前提とする本件契約解除の意思表示はその効力を生ずるに由がないものというべきであるから、右契約解除によつて本件賃貸借契約が終了したことを前提とする被控訴人の本訴請求は、その余の争点を判断するまでもなく失当であることが明かである。

よつて右と判断を異にして被控訴人の請求を認容した(尤も原判決主文第二項に「九一三番地宅地四三坪」とあるのは「九一三番地宅地四五坪の誤記である)原判決を不当としてこれを取消し、被控訴人の請求を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九條、第九六條を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 薄根正男 奥野利一 山下朝一)

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